第128回 八甫(はっぽう)の大量出土銭(しゅつどせん)
更新日:2024年4月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
土の中からお宝発見という話を聞くとロマンを感じる方は多いのではないでしょうか。実は久喜市では昔のお金が土の中から大量に見つかったことがあるので、今回はそれを紹介します。
鷲宮地区の八甫では畑の耕作中に大量の銭貨(せんか)が詰まった甕(かめ)が発見されました。中に入っていたのはすべて「永楽通宝(えいらくつうほう)」という中国の銭貨で、約5,500枚も見つかりました。
なぜ八甫でこのような大量の中国の銭貨が見つかったのでしょうか。
まず、中国の銭貨という点に関しては中世の日本の貨幣事情が関係しています。日本では奈良時代から平安時代にかけて皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)と呼ばれる貨幣を発行していた時期がありましたが、その後は統一的な貨幣の発行が行われず、中国から輸入した銭貨が日本中に広く流通するようになりました。輸入された銭貨は数十種類あり、市場には様々な種類の銭貨が入り混じって流通していました。
こうした背景を踏まえると、八甫の出土銭がすべて「永楽通宝」であるという点は特徴的です。「永楽通宝」は関東で多く流通していたといわれ、特に戦国大名の北条(ほうじょう)氏は領国における基準通貨としていたことから、久喜市域が北条氏の影響下に入った16世紀後半以降に埋められたものである可能性があります。
次に、八甫で大量の銭貨が埋められていたことに関しては、中世の八甫の地理的特徴が関係しています。八甫にはかつて利根川の本流が流れており、水運が発達していました。これは16世紀後半に書かれた北条氏照(うじてる)の書状において、「八甫まで上る商船は30艘(そう)に及ぶ」という内容の記述があることからも窺えます。したがって、八甫の出土銭は水運によって蓄えられた財産を備蓄する目的で埋められたものと考えることができます。
郷土資料館では、この八甫の出土銭を展示しています。ぜひともご覧いただき、その背景にある歴史的なロマンを感じていただけたら幸いです。
出土した甕と銭貨
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