第5回 鷲宮神社の太刀(わしのみやじんじゃのたち)
更新日:2018年7月25日
鷲宮神社の太刀(わしのみやじんじゃのたち)
郷土資料館の展示室に入ると、右側に刃の長さが1メートル以上もある大きな太刀が展示されています。この太刀は実物と同じ大きさの「写し」ですが、刀鍛冶(かたなかじ)が製作した真剣であり、その大きさ・迫力を目の当たりにすることができます。実物は鷲宮神社(鷲宮1丁目)に伝来したもので、国指定重要文化財となっています。現在は東京国立博物館に寄託されています。
この太刀の刃の部分には、表に「武州(ぶしゅう)太田庄(おおたのしょう)鷲山大明神」と奉納先の神社名、裏に「永和二年卯月十九日 義政(よしまさ)」と奉納した年月日と人物名が彫られています。また、茎(なかご)には「備中国住人吉次(よしつぐ)」と刀鍛冶の名前が彫られています(備中国は現在の岡山県)。
表面にある「武州」とは武蔵の国のこと、「太田庄」とは現在の埼玉県東部に存在した荘園(太田荘)のこと、「鷲山大明神」とは鷲宮神社のことです。
太田荘は太田氏によって開発され、平安時代末に成立した荘園です。北は現在の熊谷市、南はさいたま市岩槻区に及ぶ広大な範囲であったと考えられています。市内では鷲宮地区や久喜地区の一部が太田荘に含まれていました。鷲宮神社は太田荘の中で総鎮守(そうちんじゅ)とされた神社です。
裏面にある永和2年は西暦1376年のこと、「義政」とはこの太刀を奉納した小山義政(おやまよしまさ)のことです。
小山氏は、現在の栃木県小山市を拠点に大きな勢力を誇った豪族です。義政の祖父が足利尊氏(あしかがたかうじ)と新田義貞(にったよしさだ)との戦いで尊氏側に付いて活躍し、尊氏から恩賞として太田荘が与えられました。小山氏はそもそも太田荘を開発した太田氏の末裔(まつえい)であり、小山氏にとって太田荘は先祖に縁のある特別な土地でした。そのためもあってか、義政は太田荘の総鎮守である鷲宮神社を信仰し、記録に残るだけでも応安5年(1372)に社殿の再建、永和2年にこの太刀の奉納を行っています。
また、小山氏の本拠地小山には鷲城(わしじょう)と呼ばれる城がありました。城内に鷲宮神社の分社があったために鷲城と呼ばれていたと考えられています。義政と鷲宮との強い繋がりをうかがうことができます。
太刀
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