第151回 女流歌人濱梨花枝(はまりかえ)と歴史探偵半藤一利(はんどうかずとし)
更新日:2024年6月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
埼玉県を代表する女流歌人の一人である濱梨花枝(1912~1998)、本名榎本美佐夫(えのもとみさお)の色紙、歌稿ノート、自筆原稿等が、県のさいたま文学館(桶川市)で、7月21日(日曜)まで展示されています。
濱は、行田市埼玉(さきたま)の旧家・湯本(ゆもと)家に生まれ、19歳の時に「榎善(えのぜん)さん」と呼ばれる久喜中央三丁目の旧家に嫁いできました。本格的な短歌との出会いは、昭和15年(1940)28歳の時、恩師の池田亀鑑(いけだきかん)から与謝野晶子(よさのあきこ)を紹介され弟子入りしたことが始まりです。しかし、戦後の農地解放の混乱で、短歌どころではなくなってしまいました。この頃、近くに住んでいた故中島敦(なかじまあつし)の妻に教わりながら一緒にお茶を商いはじめ、NHKに出入りするようになったのが縁で、再び本格的な短歌の世界に戻ります。
その後、北原白秋(きたはらはくしゅう)門下の鈴木幸輔(すずきこうすけ)等に背中を推され、昭和35年(1960)48歳の時、初めての歌集『風紋(ふうもん)』を出版します。『風紋』の出版は、文芸誌「『明星(みょうじょう)』のロマンチシズムの伝統を現代に伝える数少ない女流歌人の一人」と絶賛されました。しかし、夫の政界進出等もあって、中央の短歌界からは距離を置くようになります。一方、地域の人たちや門弟たちとの強い信頼関係から、昭和41年(1966)54歳の時、ついに自宅に青遠(せいえん)短歌会を設立し、あわせて歌誌(かし)『青遠』を創刊します。
この青遠短歌会設立当初から、下馬郁郎(しもうまいくろう)のペンネームで『青遠』に短歌やエッセイを寄稿し、同誌の編集長もつとめたのが、夏目漱石(なつめそうせき)を義祖父にもち、歴史探偵として有名な作家の半藤一利です。榎本家には、半藤家から譲られた津田青楓(つだせいふう)作の衝立(ついたて)が現在も残されています。津田は、夏目漱石に愛され、『草合(くさあわせ)』、『道草』、『明暗』といった漱石晩年の著作の装幀(そうてい)を多く手掛けたゆかりの画家です。
津田の衝立は、今回のさいたま文学館の展示には出品されていませんが、半藤一利をも魅了した濱梨花枝に関する展示を、ぜひご覧ください。
津田青楓作「金地更紗鶴図(きんじさらさつるず)衝立」(個人蔵)
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