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第140回 栗橋八坂(やさか)神社に伝わる狂歌奉納額(きょうかほうのうがく)

更新日:2024年4月1日

問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係

 栗橋北二丁目の八坂神社の遷座(せんざ)に伴い確認された狂歌奉納額は、文化6年(1809)6月に奉納されたもので、浅草庵壺市人(あさくさあんつぼいちんど)と桑揚庵干則(そうようあんほしのり)を代表とする狂歌を詠(うた)う集まりの「浅草連(あさくされん)」関係者とみられる総勢27名の狂歌が刻まれた額です。
 狂歌とは、和歌に滑稽(こっけい)な要素を取り入れた歌のことで、江戸時代中期から末期にかけて流行しました。
 浅草庵壺市人は、浅草(東京都台東区)の質屋の主人で、姓は大垣(おおがき)、通称は伊勢屋久右衛門(いせやきゅうえもん)といいます。初代浅草庵として、葛飾北斎(かつしかほくさい)の挿絵(さしえ)を組み合わせた狂歌絵本を著すなど、当時著名な狂歌師(きょうかし)でした。
 壺市人の弟子たちは、浅草を中心に、奥州道中(おうしゅうどうちゅう)や日光道中(にっこうどうちゅう)が通る北関東に多いと言われています。
 狂歌奉納額は、横151センチメートル×縦43センチメートル×幅2センチメートルで、神仏に歌を奉納する意味、あるいは娯楽の意味でもある「法楽(ほうらく)」の文字が刻された部分には、金泥(きんでい)の痕(あと)も見られます。その文字の下部には、京都の八坂神社で行われる祇園祭(ぎおんまつり)の長刀鉾(なぎなたほこ)らしき絵が描かれています。「四季狂歌」の題名もありますが、「祇園会(ぎおんえ)に 出し長刀の 山鉾へ ひとふりかかる 夕立の雨」など、祇園祭に関する狂歌が多く収録されているのが特徴的です。
 京都の八坂神社の祇園祭や、栗橋の八坂神社の天王様(てんのうさま)は、江戸時代には旧暦の6月に行われており、この額が奉納された時期とも重なっています。
 2回にわたって紹介してきた栗橋の八坂神社に伝わる奉納額2点は、江戸時代から明治時代にかけての江戸東京の流行文化や最先端の技を現在に伝えるもので、市内ではあまり例のない珍しいものです。
 日光道中と利根川の水運で江戸東京との往来が活発だった栗橋ならではの文化財といえるでしょう。


狂歌奉納額の冒頭部分

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