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第20回 埼玉梨の元祖五十嵐翁(いがらしおう)の業績を称える” 梨の記念碑(なしのきねんひ)

更新日:2018年7月25日

久喜市は、埼玉県で屈指の梨の生産地であり、梨は本市の特産品の一つとして広く知られているところです。

しみん農園久喜内にあるこの記念碑は、「五十嵐翁報恩碑」と書かれていて、埼玉県東部地域に梨栽培を伝え広めた、五十嵐八五郎(はちごろう)の功績を称えた石碑です。この石碑は、梨栽培の歴史を知る上で貴重な資料として、市指定有形文化財となっています。

碑文によれば、八五郎は安政元年(1854)に埼玉郡三箇(さんが)村(現菖蒲町三箇)の大久保嘉左衛門(かざえもん)の二男として生まれました。明治4年(1871)剣道修行という大志を抱いて生家をたち、群馬県大島村(現前橋市)でたまたま梨の栽培に関心を持ちました。その後、千葉県や大里郡三ヶ尻(みかじり)村(現熊谷市)を経て、計10年間梨栽培を行いました。

明治13年には大里郡武川(たけかわ)村(現深谷市)に移り、五十嵐家に縁付き、姓を変えました。そこで梨栽培に専念し、技術をみがき、販売を行ったところ多くの収益を得ました。この有利な業を多くの人に伝えようと、同17年からは三箇村、栢間(かやま)村、江面(えづら)村(いずれも現久喜市)、その他各村を回り、梨栽培の有利性と技術を伝えました。梨栽培を教わった者はいずれも結果良好で家産(かさん)を増やした者は数えきれません。そこでその子弟が五十嵐翁の徳に感謝するため記念碑を建立し、永遠に残そうとしたのです。

この碑文は、明倫館(めいりんかん)第3代館長の宮内純(みやうちじゅん)が大正11年(1922)に書いたものです。高さ180センチメートル、最大幅80センチメートル、最大厚13センチメートルを測ります。石碑は、当初江面地内にありましたが、その後久喜本地内、上早見地内へと移転を重ね、平成23年に現在地に移されました。

写真 梨の記念碑
埼玉梨の功労者五十嵐八五郎報恩碑

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