第51回 徳川将軍に奨められた栗橋の堤防からの眺め
更新日:2016年3月23日
日光道中は江戸と日光を結ぶ街道で、栗橋宿は日光道中7番目の宿場町でした。また、日光御成道(にっこうおなりみち)は日光道中と平行して走る街道で、徳川将軍が日光東照宮(とうしょうぐう)へ参拝するために整備されました。日光御成道は江戸城を起点にして岩槻城を経て、幸手宿の手前で日光道中と合流します。
これらの街道を描いた絵図の一つに、国立公文書館が所蔵している「日光道中絵図」があります。この絵図は、12代将軍徳川家慶(いえよし)が天保14年(1843)に日光社参をする際に描かれたもので、日光御成道から日光道中に入り、日光へと至る道筋が、街道を行き来する人々などとともに色鮮やかに描かれています。
この絵図には、将軍の休憩予定の場所に金色の丸印がつけられていますが、栗橋宿には利根川の堤防上にこの丸印があり、次のようなことが書かれています。
「このあたりより東の方角に筑波山、北西の方角に日光・太平・岩船・佐野山、南西の方角に富士山、西の方角に浅間山などが見えて眺望がどこよりも良い」(現代語訳)
関東地方周辺の山々を一望できる栗橋からの眺めを賞賛しています。将軍が実際に栗橋を通行した際、これらの景色が見えたのかは定かではありませんが、これからの季節は、季節風の影響で遠くの景色がよく見えるようになります。絵図で推奨された栗橋の堤防からの眺めを、現地でぜひご覧になってください。なお、「日光道中絵図」は、国立公文書館のホームページで見ることができるほか、郷土資料館で栗橋宿部分をパネルで紹介していますので、こちらもご覧ください。
「日光道中絵図」栗橋宿部分(奥に見えるのが筑波山)
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